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第164夜 〔ハンス・メムリンク〕

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【聖母子像(部分)/ハンス・メムリンク】 1487年 油彩 52 x 41,5 cm
ハンス・メムリンク(Hans Memling) 1440年頃~1494年、15世紀フランドルの画家。
15世紀後半にブルッヘで活躍した画家。
ヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに続く世代の北方絵画を代表する画家である。
宗教的な主題を、華麗な色彩と、北方絵画特有の細部までゆるがせにしない徹底した写実表現をもって描いた。ドイツのフランクフルト近郊ゼーリゲンシュタットの生まれだが、主にフランドルのブルッヘで活動している。
生年ははっきりしていない。ブリュッセルのファン・デル・ウェイデンの工房で修業したと推定され、1465年にはブルッヘの市民権を得ている。
ファン・エイクの影響が感じられる宗教画のほか、寄進者像を中心とした肖像画にも優れたものが残っている。メムリンクの作品には
師のファン・デル・ウェイデンのような激しい情感の表出は見られず、静寂感に満ちている。

ロヒールの弟子だったといわれるメムリンクは、親しみやすい表現によって当時の人気画家になり多くの肖像画を手がけた。彼は依頼者が何を絵画に期待しているのかをよく弁えていた。
彼の描くこの「聖母子像」はロヒールの緊張した宗教的感情は薄れ、親しみやすい柔和な表現になっている。
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.28 2009 未分類 comment0 trackback0

第160夜 今宵の一曲〔How Deep Is Your Love〕


〔How Deep Is Your Love(愛はきらめきの中に)/The Bee Gees 〕

1977年にリリースされたビー・ジーズのヒット曲。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に、「Stayin' Alive (ステイン・アライヴ)」、「Night Fever (恋のナイト・フィーヴァー)」、「If I Can't Have You(アイ・キャント・ハヴ・ユー)」(イヴォンヌ・エリマン (Yvonne Elliman))と共に起用された。
UKチャートでは3位が最高、アメリカのビルボードチャートでは同年のクリスマスイヴにNo.1を記録し
トップ10にも17週間とどまった。ビルボード誌1978年度年間ランキングは第6位。
1996年にはイギリスの男性グループ、テイク・ザットによってカバーされ、UKチャート1位を3週間キープした。
.25 2009 未分類 comment0 trackback0

第159夜〔Comment te dire adieu〕

〔Comment te dire adieu(さよならを教えて) / Francoise Hardy 〕

フランソワーズ・アルディ( Francoise Hardy )1944年~ 仏蘭西のシンガー・ソングライター。
1968年発表の8thアルバムの収録曲で、しっとりと落ち着いたフレンチポップでフランス語の美しさを
感じさせらる佳曲。
1960年代に独特のスタイルで登場して以来、フランス語圏のアーティストには大きな影響力を
及ぼし続けている。
「Comment te dire adieu」を作詞したセルジュ・ゲンスブール、またゲンスブールの妻だった
ジェーン・バーキンと親しい。
2003年にはバーキンのアルバム「Rendez-vous」に参加しバーキンとデュエットしている。
また、06年にはゲンスブールへのトリビュート・アルバム「Monsieur Gainsbourg Revisited」にも参加している。

この『さよならを教えて』は 作曲:Jack Gold、 作詞:Arnold Golandの楽曲で
Vera Lynn(ヴェラ・リン)が1954年に歌った「It Hurts To Say Goodbye」のカバーである。
.24 2009 未分類 comment0 trackback0

第158夜〔青春の光と影〕

〔Both Sides Now/Judy Collins 〕

1961年に 『Judy Collins : A Maid Of Constant Sorrow 』 でレコード・デビュー。
1967年のジュディ・コリンズのアルバム 『Wildflowers』に収録されていた標題曲が
翌年の映画『青春の光と影』の主題歌に使用され大ヒットした。
オリジナルはシンガー・ソングライター:Joni Mitchell (ジョニ・ミッチェル)の楽曲である。
透き通る歌声、端正なルックスでジュディ・コリンズの名前を一躍高めた名曲である。
全般的にアコースティック・ギターとストリングスを中心としたクラシカルな趣のバック演奏に
ジュディ・コリンズの美しく癖のないボーカルが加わることによって透明感のあるサウンドとなっている。
この「Both Sides Now」は1968年/12月、全米最高位8位であった。

今宵は、歴史に燦然と煌く名曲を楽しもう。
.23 2009 未分類 comment0 trackback0

第156夜〔アテナイの学堂 〕

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【アテナイの学堂 / ラファエロ・サンティ 】
ルネサンス期イタリアの画家ラファエロ・サンティのもっとも有名な絵画の一つである。
描かれたのは、ローマ教皇ユリウス2世に仕えた1509年と1510年の間である。
バチカン教皇庁の中の、現在ラファエロの間と呼ばれる4つの部屋の壁をフレスコ画で飾ることになって
ラファエロはまず署名の間と呼ばれる部屋から着手することにした。
そして、最初に『聖体の論議』を仕上げてから、2番目に手がけたのがこの『アテナイの学堂』である。
その絵は、長きにわたってラファエロの最高傑作とみられてきた。盛期ルネサンスの古典的精神を
見事に具現化したものである。
「署名の間」。ここに、ヴァチカンの数ある芸術品のなかでも、最高傑作のひとつがある。
幅8メートルもある壁画には、50名を越える古代ギリシャの賢人たちの姿が描かれている。
遠近法で描かれたアテナイの学堂 、その中心に位置する二人は、向って左がプラトン、右がアリストテレス。
そのほかソクラテスやピタゴラスなど、有名な哲学者や科学者たちが理想の学び舎に集っている。ボッティチェリ
ミケランジェロ、そしてラファエロと言った、時を経ても色褪せる事のない本物の芸術家たちが集っていた。
.22 2009 未分類 comment0 trackback0

第155夜 〔ピアノ協奏曲K.466 II-Romance〕


〔モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466 第2楽章〕
内田光子(MITSUKO UCHIDA) (pf)

ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが
初めて手掛けた短調の協奏曲である。
1785年2月10日に完成され、翌日にウィーン市の集会所「メールグルーベ」で行われた
予約演奏会で初演された。
モーツァルトは、短調のピアノ協奏曲を2曲(もう1曲は第24番 ハ短調)作曲している。
華やかさが求められた当時の協奏曲とはうってかわって、それまでの彼の協奏曲には見られない
激しいパッションの表出的な性格を帯びている。
暗く不安げな旋律、劇的な展開、厳しさと激しさの入り混じった感情など
とても強い表現性をもった作品といえる。
この第2楽章は、ゆったりとしたとても美しい旋律である。
.21 2009 未分類 comment0 trackback0

第152夜〔Don't it make my brown eyes blue 〕

〔Don't it make my brown eyes blue / Crystal Gayle〕

クリスタル・ゲイルは、1951年ケンタッキ-生まれのカントリー・シンガー。
彼女の初シングルは 「I've Cried the Blue Right Out of My Eyes」 である。
これはカントリー・チャート最高23位のヒットだった。
77年に「Don't It Make My Brown Eyes Blue」(瞳のささやき)がグラミー賞のベスト・カントリー・ソング部門とベスト・カントリー・ボーカル・パフォーマンス(女性)部門を受賞する。
表題のアルバムは 77年に発表された彼女の4枚目のアルバムであり、大ヒットを記録して
一躍彼女の名前を知らしめることになったアルバムである。
カントリー界ではこれまでにヒットを放っていた彼女(カントリー界の歌姫として
一定の人気を獲得していた。)だがポピュラー・ミュージック界でも認知されるようになった。
この「Don't It Make My Brown Eyes Blue」は、Billboard 1977年/11月最高2位
年間ランキング71位を記録するヒットとなった。
.19 2009 未分類 comment0 trackback0

第151夜 〔イリヤ・レーピン 〕

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【クールスク県の十字架行進/イリヤ・レーピン】
1880~83年、油彩・カンヴァス、175×280㎝、トレチャコフ美術館(ロシア)
イリヤー・エフィーモヴィチ・レーピン(Ilya Yefimovich Repin)
1844年~1930年 は、移動派を代表するロシア帝国の画家・彫刻家。
心理的洞察を持ち合わせた写実画によって名高く、いくつかの作品は、既存の社会秩序の矛盾や階層間の緊張を露わにしている。社会的名士の肖像画を制作するかたわらで、しばしば貧困や差別にあえぐ社会の最下層を題材に数多くの作品を残した。その作品やテーマの社会性から、1920年代半ばのソビエト連邦においてレーピンの神格化が始まり、社会主義リアリズム美術の模範として崇めたてられるようになった。ソ連崩壊後の現在は、レーピンの扱ったテーマの多様性を客観的に見据えた上で、その業績を再認識することが必要である。

都会風の盛装や鮮やかな祭日の礼装に並べて、農民のボロボロの衣服を配置することにより
レーピンは行列に加わっている人々の間の階級と貧富の差を精確に描き出している。
レーピンの作品は精巧であると同時に力強い。卓越した技量には驚嘆する。
.18 2009 未分類 comment0 trackback0

第150夜〔Don't It Make My Brown Eyes Blue 〕


〔Don't It Make My Brown Eyes Blue / Laura Fygi 〕

1955年8月27日アムステルダム生まれ。父親はオランダ人で有名な電機メーカー、フィリップス社のテクニカル・ディレクター
母親は元ベリー・ダンサーのエジプト人。
ローラは父親の転勤にともなって幼い頃に南米のウルグアイに移り、そこで育った。
しかし60年代はじめに父親が突然亡くなり、オランダに戻った。子供の頃から歌は大好きで、テラ(Terra)というバンドに参加したのは20歳の時だった。これは男性1人+スリナム、中国、アラビア人女性を含む多国籍グループだった。テラは2枚のシングルを出したあと、2年ほどの活動で解散。そのあとローラは、センターフォールドという名前の3人組ガール・グループに参加した。
グループ名から察しがつくように、これはセクシーなイメージを売り物にしたグループで7年間続いた。
その間に来日もしている。ソロ歌手としてデビューしたのは91年(『瞳のささやき』)。以後、コンスタントにアルバムを発表している。

ジャズの域を越えて幅広い人気を誇るオランダ出身のローラフィジーの魅力は
しっとりと情感を湛えて歌うあのシルキーなハスキー・ボイスにある。
この楽曲は「クリスタル・ゲイル」のカバーであるが、どちらも素晴らしい。甲乙付け難い。
次回は本家を取り上げたい。
.18 2009 未分類 comment0 trackback0

第148夜 〔Mr. Monday 〕

〔Mr. Monday / The Original Caste〕

カナダ出身の5人組のロック・グループ 「ザ・オリジナル・キャスト」が残した傑作。
1970年5月発売し、日本では46万枚の大ヒットとなった。米国では振るわなかったが
本国、カナダでは年間ランキング3位と大ヒットを記録した。

当時、この印象的なイントロに、ダイナミックな女性ヴォーカルには参った!と・・思った。
.16 2009 未分類 comment0 trackback0

第147夜 〔ギュスターヴ・カイユボット〕

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【パリの通り、雨 (1877年) 油彩・キャンバス 212.2×276.2㎝ (シカゴ美術研究)】
ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte)1848年 - 1894年は、フランスの印象派の画家。
ブルジョワ階級の出身で自身も裕福であり、印象派の作品の収集家としても知られる。
印象派画家たちを友人に持ち、パトロンとしても著名でその印象派コレクションは
現在オルセー美術館に残る。
自らも幾度かの印象派展に参加している。都会の風俗の機微を一瞬に捉える構図は
洗練されているが、その写実的な作風は印象派と距離を置いている。
カイユボットが風景を描く際の写実性は、後に作家エミール・ゾラに称賛された。
.15 2009 未分類 comment0 trackback0

第146夜〔Ebony and Ivory 〕

〔Ebony and Ivory / Paul McCartney & Stevie Wonder〕

1982年にPaul McCartney & Stevie Wonderが発表した楽曲。
1981年2月27日、モントセラトにてレコーディング。楽器は全てポールとスティーヴィーが演奏しており
スティーヴィーはキーボード類・ドラム・パーカッションを担当。
ブラックミュージックの巨匠と目されるスティーヴィーとポップミュージックの天才ポールの組み合わせは「夢の共演」とも評された・・・史上最悪のデュエットとも評されたが・・・。
この曲は、ピアノの黒鍵(Ebony)と白鍵(Ivory)を人種問題に準え、手を取り合えば一つのハーモニーを奏でる事が出来ると歌い世界で反響を呼んだ。
Billboard誌では、82年5月~6月にかけて7週連続No.1を記録。
82年年間ランキングは第6位。英国、日本でもNo.1を記録した。
因みに82年、年間No.1は Physical(フィジカル)/Olivia Newton-Johnであった。
.15 2009 未分類 comment0 trackback0

第145夜〔 "Ombra mai fu"〕


Ombra mai fu...

〔Haendel's "Ombra mai fu"/Jennifer Larmore〕
ジェニファー・ラーモア・・・ジョージア州アトランタ出身。
豊かな声量と精緻なコントロールを持ち、ロッシーニに加え、モンテヴェルディからモーツァルトに至る
バロック・古典派オペラでも大活躍し、世界中のファンを虜にするジェニファー・ラーモア。
アメリカが誇る稀代のメゾ・ソプラノ歌手である。
ロッシーニ歌手としては、欧米で抜群の名声と実力を誇る。
今宵聴くのは、ヘンデルの作曲したオペラ『セルセ』(Serse, Xerxes)第1幕第1場の中のアリア。
ペルシャ王セルセ(クセルクセス1世)によって歌われる。
暑い日差しを遮るプラタナスの大樹に感謝するアリアである。
.14 2009 未分類 comment0 trackback0

第144夜〔If We Hold On Together 〕

〔If we hold on together/Diana Ross〕

ダイアナ・ロス(Diana Ross、Diane Ernestine Earle Ross) 1944年~
アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人でありブラックミュージック界の至宝である。
ミシガン州デトロイト出身。ハイスクール時代の1959年に女性4人組のコーラス・グループ、プリメッツを結成。
プリメッツは1961年にモータウンと契約、3人組となってザ・シュープリームスとしてデビュー。
1970年にダイアナはグループを脱退。ソロ歌手として活動を始める。
ソロ転向後も同年リリースの「Ain't No Mountain High Enough」を皮切りに
「Touch Me in the Morning」
「Theme From 'Mahogany'(Do You Know Where You're Going To)」
などの全米1位ヒットを放ち、スーパースターとしての地位を確立した。
映画女優としても72年、ビリー・ホリデイの伝記映画『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』に主演と
して起用され、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
主題歌がヒットした『マホガニー』でも主演を務めている。
ダイアナはシュープリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のビルボード1位のヒットを放っている。
これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。
.13 2009 未分類 comment0 trackback0

第140夜〔Just When I Needed You Most〕

〔Just When I Needed You Most /Randy Vanwarmer 〕

ランディ・ヴァンウォーマー(Randy VanWarmer) 1955年~ 2004年
本名:Randall Van Warmer、 は、AOR、カントリーのアーティスト、シンガーソングライター。
“繊細な”“無垢な”等の形容詞で評されることの多い声の持ち主である。
1979年、ファーストアルバム『Warmer』でデビュー。
この中に収録されている彼が18歳の時に書いた曲、「Just When I Needed You Most」が
全米ACチャートNo.1、POPチャート4位、全英チャート8位を記録し最大のヒット曲となった。
2003年に白血病と診断され、シアトルの病院で骨髄移植をしたが、2004年1月12日に48歳の若さで死去した。

ランディ・ヴァンウォーマーと私は、ほぼ同世代である。
調べていて、亡くなっていたのには吃驚した。あまりに早すぎる。
今宵は、「Just When I Needed You Most」を聴きながら冥福を祈ろう。
.09 2009 未分類 comment0 trackback0

第137夜 今宵の一曲〔I will survive 〕



〔I will survive(恋のサーヴァイヴ)/ Gloria Gaynor〕

1949年生まれ。ドナ・サマーらと並ぶ、ディスコ時代を代表する女性シンガー。
グラミー受賞曲「I will survive」は、世界中の人々の心を鼓舞した曲だ。
彼女は、聴き手の心を否応なしに高揚させるストロング・スタイルの歌唱。そして煌びやかなディスコ・サウンドで女権復活を鮮やかに印象づけたことでも知られる。グロリアはけっこう波瀾万丈な人だ。1978年にステージから転落して脊髄を傷めたり、その後に二度も交通事故に遭ったりとアクシデントが続いた。さらには酒、ドラッグにもおぼれた時期があり、キリスト教に救いを求めた時期もあった。そんなころに、このディスコスタンダード「I will survive」(78年末)が大ヒット。ディスコどころかポップチャートでも3週連続1位となった。よほど心に期するものがあったのか、グロリアは後に、この曲の歌詞のさびの部分を「神への感謝」を訴えた内容に変更もしている。
米国では「ディスコはこの人で始まり、この人で終わった」と言われるほどのディスコクイーンである。
.06 2009 未分類 comment0 trackback0

第136夜 今宵の一曲〔American Pie 〕


〔American Pie / Don McLean 〕

今宵聴くのは、ドン・マクリーンのデビューアルバムの「Tapestry(タペストリー)」から
「アメリカン・パイ」である。
この楽曲は飛行機事故で亡くなった、50年代に活躍したロックン・ロール歌手
バディ・ホリーに捧げた作品である。
1972年、全米No.1を記録。 年間でも3位である。
約8分半にも及ぶ大作だが、楽曲の圧倒的なパワーが支持され
どこのラジオ局もフルサイズでオンエアしたという。
.05 2009 未分類 comment0 trackback0

第135夜 〔All By MySelf 〕

〔All By MySelf / Eric Carmen 〕

エリック・カルメン(Eric Carmen、Eric Howard Carmen) 1949年~
オハイオ州クリーブランド出身。大学時代にバンド活動を始める。
1970年にラズベリーズのボーカルとしてデビューし、「Go All the Way」などのヒットを飛ばした。
74年にバンドは解散、カルメンはソロ活動を始める。
彼の最高傑作!「オール・バイ・マイセルフ」は1976年全米2位を記録した。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をモチーフにしたこの曲は、途中にピアノ協奏を挟んだ7分超の
ドラマチックな大曲である。
また、同年の「Never Gonna Fall In Love Again(恋にノータッチ)」もまた、ラフマニノフの交響曲第2番をモチーフにした佳曲である。
この代表曲「オール・バイ・マイセルフ」はセリーヌ・ディオンのカヴァーや、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』で使用され現在でも人気曲である。
.04 2009 未分類 comment0 trackback0

第133夜 今宵の一曲〔Yellow River 〕



〔Yellow River(イエロー・リバー) / Christie 〕

「サイレンス・イズ・ゴールデン」のヒットで有名なトレメローズの為に
ジェフ・クリスティが作った楽曲だが、乗り気でなかったので自分の名前を冠した
バンド「クリスティ」を1969年に結成し、リリースしたところ全世界でヒットした。
1970年、本国UKチャートでNo.1。全米ではビルボード最高位でも23位。
歌詞からわかるように、ベトナム戦争絡みの曲である。
.02 2009 未分類 comment0 trackback0
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