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第350夜〔ジョニー・B・グッド〕

Johnny B Goode - Chuck Berry

〔Johnny B Goode/ Chuck Berry〕
チャック・ベリー(Chuck Berry) 1926年~
アメリカ合衆国のロックンロール・シンガー、ギタリスト。リトル・リチャードやジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリー等と並びロックンロールの創始者のひとりと言われている。

特徴的なギター・リフを使ったその音楽のスタイルは、後のロック・ミュージシャン達に多大な影響を与えた。また、社会的メッセージがこめられた歌の数々は1950~60年代当時の若い世代の共感を呼んだ。80歳を超えた現在も現役でステージ活動を続けている。
ベリーを敬愛していたジョン・レノンは、「ロックンロールに別の名前を与えるとすれば、それは『チャックベリー』だ」と発言している。
この〔Johnny B Goode〕は、ロックンロールのスタンダード・ナンバーの中でも定番中の定番と呼べる曲である。ビルボード(Billboard)誌では、1958年6月9日に週間ランキング最高位の第9位を獲得。1958年ビルボード誌の年間ランキングでは、第60位。
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.31 2009 未分類 comment0 trackback0

第349夜〔夏の日の恋〕


〔The Theme From A Summer Place/Percy Faith Orchestra〕

アメリカ映画『避暑地の出来事』(本邦公開:昭和35年)の主題歌。
サンドラ・ディーと若きのトロイ・ドナヒュー の演技が好評で大ヒットした。
この「The Theme From A Summer Place」はマックス・スタイナーが作曲し
Percy Faith Orchestra がカバー。
1960年度のビルボード・チャートでは、2/22付 No.1を記録した。
また、1960~1969年間のTOP100では、第3位を記録している。
.30 2009 未分類 comment0 trackback0

第347夜〔パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 op.6〕


〔Violin Concerto No.1(1st Mvt)/Paganini〕

ニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini) 1782年~1840年5月27日
パガニーニはヴァイオリンの鬼神と呼ばれ、当時はそのヴァイオリン演奏のあまりの上手さに、「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」と噂されたという。
彼は病弱だったために痩せていて浅黒く、そのことが彼の伝説に貢献した。その上、パガニーニは猛特訓の末に左手が柔軟になっていた。この事が彼の超絶技巧を可能にした。

パガニーニ自身は技術が他人に知られるのを好まなかったため、生前はほとんど自作を出版せず自分で楽譜の管理をしていた。その徹底ぶりは凄まじいもので、自らの演奏会の伴奏を担当するオーケストラにすらパート譜を配るのは演奏会の数日前(時には数時間前)で、演奏会までの数日間練習させて本番で伴奏を弾かせた後、配ったパート譜はすべて回収したというほどである。しかも、オーケストラの練習ではパガニーニ自身はソロを弾かなかったため、楽団員ですら本番に初めてパガニーニ本人の弾くソロ・パートを聞くことができたという。
.28 2009 未分類 comment0 trackback0

第346夜〔悲しき天使〕


〔Those Were the Days/Mary Hopkin〕
メリー・ホプキン(Mary Hopkin) 1950年~
英国の歌手。ウェールズ出身でウェールズ語を母国語に育ち、民謡歌手として音楽活動に入り、地元のインディーズ・レーベルでいくらかの録音を残した後、ツイッギーに見出されて、ビートルズのアップル・レコードと契約。アップル所属時代は、その容姿や美声から「アップルの歌姫」と呼ばれていた。

ポール・マッカートニーがプロデュースしたシングル「悲しき天使 Those Were the Days 」は1968年8月30日にイギリスで発表され、有名なスター、サンディ・ショーと競作する格好となったにもかかわらず全英シングル・チャートの第1位に輝き、全米シングル・チャートでも第2位を記録した。
.28 2009 未分類 comment0 trackback0

第345夜〔Rise〕


〔Rise/Herb Alpert〕

ハーブ・アルパート(Herb Alpert) 1935年~
米国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のポップ・ジャズで活躍していたトランペッター。ザ・ティファナ・ブラス(The Tijuana Brass)のリーダーでもある。
1970年代から1990年代にかけ、ソロ・ミュージシャンとしても活躍している。ヒュー・マセケラとのジョイント・アルバムを制作後、ティファナ・ブラスを再結成するつもりでレコーディングを開始するがどうにも上手く行かず断念し、ソロ名義で79年〔Rise〕を発表。タイトル曲でトランペッター名義としては自身初のNo.1になり、同曲でグラミー賞ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門を受賞した。
.27 2009 未分類 comment0 trackback0

第343夜〔失われた愛の世界〕


〔Too Much Heaven/The Bee Gees〕

1979年全米1位, 米R&B10位, 全英3位を記録したヒット曲。

当初は五人グループであったが、やがて兄弟三人だけになる。69年に意見の相違からロビンが脱退したが翌年復帰。71年には初の全米No.1シングルを生み出すが徐々に人気は下降線を辿る。74年にディスコサウンドを手掛け第一線に返り咲く。78年には半年以上も彼らが手掛けた楽曲がNo.1を占めるなど、黄金期を迎える。80年代にはグループとしてのヒットには恵まれなくなるが他アーティストへの楽曲提供でヒットを数多く生み出す。89年には久々にグループとしてヒットを出すがRolling Stone誌では"Unwelcome Back Band"と酷評される。
.26 2009 未分類 comment0 trackback0

第341夜〔恋はあせらず〕


〔You Can't Hurry Love/The Supremes〕
恋はあせらず(原題: You Can't Hurry Love)は、1966年にシュープリームスが発表したポピュラー音楽の楽曲。同年ビルボードのポップシングルチャートで2週連続第1位を記録した。

1959年、ザ・プライメッツとして結成。オリジナルメンバーはダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードにベティ・マグロウンの4人。ベディはすぐバーバラ・マーティンに替わり、そのバーバラも抜けて1961年、ザ・スプリームスと改名してモータウンと契約した頃には3人組となっていた。
.24 2009 未分類 comment0 trackback0

第340夜〔アポロとダフネ〕

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〔Apollo and Daphne/Bernini〕 1622年 ボルゲーゼ美術館
ある日アポローンは弓矢で遊んでいたエロースを揶揄する。そのことで激怒したエロースは相手に恋する金の矢をアポローンに、逆に相手を疎む鉛の矢を近くで川遊びをしていたダプネーにそれぞれ放った。
金の矢で射られたアポローンはダプネーを求愛し続ける一方、鉛の矢を射られたダプネーはアポローンを頑なに拒絶した。追うアポローンと逃げるダプネー、ついにアポローンはペーネイオス河畔までダプネーを追いつめたが、ダプネーはアポローンの求愛から逃れるために、父である河の神に自らの身を変える事を強く望んだ。その望みを聞き届けた父は、ダプネーの体を月桂樹に変えた。あと一歩で手が届くところで月桂樹に変えられてしまったダプネーの姿を見てアポローンはひどく悲しんだ。そしてアポローンは、その愛の永遠の証として月桂樹の枝から月桂冠を作り、永遠に身に着けている。

ベルニーニの彫刻のクオリティは極めて高く、多作で、生きていた時代を反映している彫刻家は歴史上殆どいない。彼の最初の作品は17歳、もしくはそれ以前に刻んだ幼神ゼウスの彫像で、最後の作品は81歳の時のキリスト像である。その間60年余り、彼は彫刻史上の大変革に一役かったばかりでなく、最も人気のある建築家としても作品を残した。
サン・ピエトロ大聖堂の建築主任、マデルノ(1556~1629年)のもとで建築に携わる。1656-67年にはローマのサン・ピエトロ広場を建設した。フランス王ルイ14世に招かれ、ルーヴル宮殿の改築計画にも関わった。
.23 2009 未分類 comment0 trackback0

第339夜〔Fly me to the moon〕


〔Fly me to the moon/Nat King Cole〕
この楽曲は1954年に作曲家・作詞家のバート・ハワード(Bart Howard、1915年~ 2004年)によって
作られたもので、初演はニューヨークのキャバレー "Blue Angel" において、ヴォーカルのフェリシア・サンダーズ (Felicia Sanders) によるものであった。但し、この時の曲のタイトルは『In Other Words』(「言い換えると」の意味)であり、曲調も3拍子で、現在多く採用されているアレンジとは装いをかなり異にしていた。

現在私たちが耳にする『Fly Me to the Moon』が完成するのは1962年の事である。作曲家・編曲家のジョー・ハーネル (Joe Harnell) が4拍子のボサノヴァ風に書き直した曲が、現在よく知られているアレンジの一つである。
この曲を発表した1960年代、アメリカ合衆国はアポロ計画の真っ只中にあって、本当に「月に連れて行って」貰えるのは非常に近くまで迫っている未来の出来事であった。そのため『Fly Me to the Moon』は一種の時代のテーマソングのように扱われ、これがこの曲のヒットにつながった。
.22 2009 未分類 comment0 trackback0

第338夜〔恋するデビー〕


〔You Light Up My Life/Debby Boone〕

デビー・ブーン(Debby Boone)米国ニュージャージー州生まれのポップシンガー。
父親のパット・ブーン(Pat Boone)は50年代の米国を象徴する歌手。
代表曲〔You Light Up My Life〕は77年に米国で10週連続1位を記録している。
.21 2009 未分類 comment0 trackback0

第337夜〔 I'll be there〕

〔 I'll be there/Jackson Five〕

1968年から75年までモータウンと、1975年から90年の解散まではエピック/CBSレコード(CBS との契約時に「ジャクソンズ」と改名)とレコード契約を結ぶ。デビュー曲「帰ってほしいの(I Want You Back)」を皮切りに、「"ABC"」、「小さな経験(The Love You Save)」、「"I'll Be There"」と全米チャート1位となるヒットを連発し、一躍スーパースターとなった。その後も「ママの真珠(Mama's Pearl)」、「さよならは言わないで(Never Can Say Goodbye)」、「"Dancing Machine"」の3曲で全米チャート2位および全米R&Bチャート1位を獲得するなど、高い人気を得た。初期のヒット曲のほとんどは「ザ・コーポレーション」と呼ばれる作曲家・プロデューサーのチームによって書かれた。後期のヒット曲はハル・デイヴィスを中心に作られた。
.20 2009 未分類 comment0 trackback0

第336夜〔ラストダンスは私に〕


〔Save the Last Dance for Me/The Drifters〕

ザ・ドリフターズ(The Drifters)はアメリカのコーラス・グループ。1950年代から1960年代にかけて隆盛した黒人コーラス・グループ。
リードシンガーとしてベン・E・キングが加入した1958年からが最盛期。「ダンス・ウィズ・ミー」、「ラストダンスは私に」などの数々の大ヒット曲を生んだ。1960年にキングが脱退した後も安定した人気を続け、「渚のボードウォーク」などのヒットを放った。
アトランティックを離れた1970年代以降は活動の拠点をイギリスに移しているが、元メンバーによるオリジナル・ドリフターズも存在する。1988年に両グループのメンバー7人がロックの殿堂入りを果たした。
.18 2009 未分類 comment0 trackback0

第335夜〔 It's Too Late〕


〔It's Too Late/Carole King〕

1971年には、未だに語り継がれ、聴かれ続ける名盤『つづれおり』(Tapestr y)を発表。このアルバムは302週間も全米チャートにランクインされ続け、グラミー賞4部門を受賞。売上は2500万枚を超え、25年間にわたり、女性アーティストのベストセラー・アルバム記録を維持した。
シングル「イッツ・トゥー・レイト」は71年6月19日から5週連続全米No.1を獲得している(シングル年間チャートでは第3位)。
.17 2009 未分類 comment0 trackback0

第334夜〔ビギン・ザ・ビギン〕


〔 Volver a empezar/Julio Iglesias〕

フリオ・イグレシアス(Julio Iglesias ) 1943年~ スペイン出身のポピュラー音楽の歌手。
名門レアル・マドリードの二軍でゴールキーパーをしていた若き日のイグレシアスは、交通事故で瀕死の重傷を負い、サッカーの道を断念。弁護士をめざしケンブリッジ大学で法律を学んだ後、ミリオンセラーを連発するエンターテイナーとしての成功を勝ち取った。
代表曲に「黒い瞳のナタリー」、「ビギン・ザ・ビギン」、「禁じられた遊び」、ウィリー・ネルソンとのデュエット曲「かつて愛した女性へ」などがある。
.16 2009 未分類 comment0 trackback0

第333夜〔ノックは3回〕


〔Knock Three Times/Tony Orlando and Dawn〕

1971年には「ノックは3回(Knock Three Times)」」をリリースした。「ノックは3回」は、ビルボード誌で、71年1月23日に週間ランキング第1位を獲得した。
ビルボード誌1971年年間ランキングは第4位だった。
73年に、ドーンは「Dawn featuring Tony Orlando」名義で(ただし、日本版の名義は「ドーン」のままだった)、「幸せの黄色いリボン」をリリースした。「幸せの黄色いリボン」は、ビルボード誌で、73年4月21日に、週間ランキング第1位を獲得した。ビルボード誌1973年年間ランキングでも第1位だった。ビルボード誌の集計では、ドーン最大のヒット曲となった。
.15 2009 未分類 comment0 trackback0

第332夜〔I Was Born To Love You〕


〔I Was Born To Love You/Queen〕

ボーン・トゥ・ラヴ・ユー (原題:I was born to love you -『君を愛するため僕は生まれた』) は、イギリスのロックバンド・クイーンのリードヴォーカルであったフレディ・マーキュリーが1985年に発表した楽曲である。
同年発売したソロアルバム「Mr.バッド・ガイ」に収録され、シングルカットもされた。
また、1991年にフレディが他界した後、クイーンのメンバーが1995年に発表したアルバム「メイド・イン・ヘヴン」にて、アレンジを大幅に変更したバージョンを制作・収録した。
.14 2009 未分類 comment0 trackback0

第331夜〔Fun, fun, fun〕



〔Fun, fun, fun/The Beach Boys〕
ブライアン・ダグラス・ウィルソン(Brian Douglas Wilson)
卓越した作曲能力と天才的なアレンジセンス、さらには美しい歌声までも併せ持つ彼は、1961年のビーチボーイズのデビュー以来、数々の名曲を次々と作曲し、当時は珍しかったセルフプロデュースの手法により世に送り出すことで同バンドを名実ともに全米一のロックンロールバンドの地位まで引き上げた。
「サーファー・ガール」「ファン・ファン・ファン」「アイ・ゲット・アラウンド」など、ロックンロールのリズムにコーラスワークを多用した彼のオリジナリティ溢れる名曲群は、現代に至るまで多くの人々に親しまれ続けている。
.13 2009 未分類 comment0 trackback0

第330夜〔シェルブールの雨傘〕


〔Les parapluies de Cherbourg〕1964年公開 フランス映画

監督:Jacques Demy (ジャック・ドゥミー)
主演:Catherine Deneuve (カトリーヌ・ドヌーヴ )
    Nino Castelnuovo (ニーノ・カステルヌオーボ)
1957年11月。ジェヌビエーブ(カトリーヌ・ドヌーヴ)はシェルブールの雨傘屋の娘で、近くのガレージに勤める恋人ギイ(ニーノ・カステルヌオーボ)を、深く愛していた。
ある日ギイに召集令状が来て、2年間の義務兵役に発つことになった・・・・。

『シェルブールの雨傘』(Les Parapluies de Cherbourg)は1964年のフランス映画。
1964年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞
互いに愛し合っていた傘屋の少女と修理工の若者が、戦争に引き裂かれ、別々の人生を歩くまでを描いたストーリーを、全編の台詞を歌詞として歌で表現しながらドラマを進めるミュージカル映画。
作曲家ミシェル・ルグランのポップな楽曲と、歌って踊るドヌーヴが魅力的である。
.12 2009 未分類 comment0 trackback0

第328夜〔金色の髪の少女〕


〔Sister Golden Hair / America〕

1967年、ジェリー・ベックリー、デューイ・バネル、ダン・ピークの3人によりロンドンで結成され、1971年にデビュー。
3人とも父親はロンドンに駐留するアメリカの軍人であり、アメリカンスクールでの仲間だった。
デビューアルバム「アメリカ」の売れ行きはさほどではなかったが、翌1972年に発表したシングル「名前のない馬(A Horse With No Name)」が期せずして全米1位の大ヒットとなる。急遽この曲を追加収録してアルバムを再発したところミリオンセラーを記録、グラミー賞の最優秀新人賞を受賞した。
また、この〔金色の髪の少女(Sister Golden Hair)〕は75年/06月、全米No.1を記録した。
.10 2009 未分類 comment0 trackback0

第327夜〔バルジ大作戦〕


〔Panzerlied〕
『バルジ大作戦』(Battle of the Bulge)は、第二次世界大戦末期1944年12月にドイツがアメリカ軍に対してしかけた大攻勢を描いたアメリカ映画。ケン・アナキン監督。1965年に公開された。

作戦開始前の指揮官会同で、集まったのが少年のような若い戦車将校ばかりなことに失望したヘスラー大佐に対し、青年将校の一人が己の戦意を示すべく「戦車隊の歌(パンツァー・リート)」を独唱。他の将校たちも続いて合唱、彼らのやる気に感動し、作戦実行に希望を持ったヘスラーも共に歌いだすシーンは、前半のハイライトである。
【キャスト】
ヘンリー・フォンダ(連合軍カイリー中佐)
ロバート・ショウ(独軍ヘスラー大佐)・・・・・・このヘスラー大佐が、かっこいい!

Ob's stürmt oder schneit,
Ob die Sonne uns lacht,
Der Tag glühend heiß
Oder eiskalt die Nacht.

Bestaubt sind die Gesichter,
Doch froh ist unser Sinn,
Es braust unser Panzer
Im Sturmwind dahin.
.09 2009 未分類 comment0 trackback0

第325夜〔朝焼けの少女〕


〔The most beautiful girl / Charlie Rich〕
チャーリー・リッチ(別名:シルバーフォックス)はヴェルヴェットのように柔らかく哀しみを歌い上げる。
彼のソングライターとしての素晴らしい才能は誰もが高く評価したが、地位と名声は辞退している。曲がヒットする前はセッション・ミュージシャンとして好評を博し、ジョニー・キャッシュ、ウォーレン・スミス、カール・マン、レイ・スミス、ビリー・リー・ライリーらと活動した。そしてジェリー・リー・ルイスに「ブレイク・アップ」、ジョニー・キャッシュに「ザ・ウェイズ・オブ・ア・ウーマン・イン・ラブ」、カール・マンに「アイム・カミン・ホーム」を作曲した(これは後にエルヴィス・プレスリーがレコーディングしている)。リッチは、カントリー、ジャズ、ブルース、ゴスペル、ロカビリー、ソウルの心地よい部分を独自のミュージック・テクスチャーにブレンドして、シルクのようになめらかなカントリー・サウンドを生み出した。「アイ・テイク・イット・オン・ホーム」や「ドント・プット・ノー・ヘッドストーン・オン・マイ・グレイヴ」、
そしてヒット作「ザ・モスト・ビューティフル・ガール(朝焼けの少女)」を切々と歌い上げる彼の声を聴くと、またホンモノの音楽が流行るかもしれないという希望がもてる。評論家に絶賛された『ピクチャーズ・アンド・ペインティングス』をリリースした3年後の95年夏、リッチは夫人とフロリダを旅行中に肺塞栓症のために亡くなった。
.08 2009 未分類 comment0 trackback0

第324夜〔悲しみのアンジー〕


〔Angie / The Rolling Stones〕
ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) は、ロンドンで結成され1963年にレコードデビューしたイギリスのロックバンド。ロック草創期の1960年代から現在まで40年以上、一度も解散することなく第一線で創作を続ける、ロック・バンドの代名詞的な存在である。エアロスミス、ガンズ・アンド・ローゼズ、オアシスなどローリング・ストーンズを崇拝するアーティストは数知れない。
1973年/10月に全米No.1、英国では、1973年/09月に最高位5を記録した名曲である。

Angie, Angie
When will those clouds all disappear?
アンジー アンジー
あの雲はいつになったらなくなるだろうか

Angie, Angie
Where will it lead us from here?
アンジー アンジー
ボクたちはこれからどこへ行くのだろうか

With no loving in our souls
And no money in our coats
You can't say we're satisfied
心に愛もなく
上着には金もなく
ボクたちに不満はないなんて言えないね

Angie, Angie
You can't say we never tried
アンジー アンジー
ボクたち,頑張らなかった訳じゃないだろ

Angie, You're beautiful, yeah
But ain't it time we said goodbye
アンジー 君はきれいだ
でもそろそろ別れた方がいいね

Angie, I still love ya
Remember all those nights we cried?
アンジー まだ君を愛している
ボクたちが泣いたあの夜を覚えているかい

All the dreams we held so close
Seemed to all go up in smoke
Let me whisper in your ear
ボクたちが夢見た夢は全部
煙みたいに高く上って行くみたいだった
君の耳元で囁かせてくれ

Angie, Angie
Where will it lead us from here?
アンジー アンジー
ボクたちはこれからどこへ行くんだろう

(instrumental)

Angie, don't you weep
All your kisses still taste sweet
I hate that sadness in your eyes
アンジー 泣かないでくれるか
君のキスは今でも甘い
君の目にあるその悲しみは見たくない

But Angie, Angie
Ain't it time we said goodbye?
でもアンジー アンジー
もうそろそろ別れるときが来たんじゃないか?

(instrumental)

With no loving in our souls
And no money in our coats
You can't say we're satisfied
心に愛もなく
上着には金もなく
ボクたちに不満はないなんて言えないね

But Angie, I still love you, baby
Everywhere I look I see your eyes
There ain't a woman that comes close to you
Come on baby dry your eyes
でもアンジー まだボクは君を愛している
どこをみても君の目が浮かぶ
君に勝てる女なんていやしない
さあ, 涙をふくんだ

Angie, Angie
Ain't it good to be alive?
アンジー アンジー
生きているっていいことじゃないか

Angie, Angie
アンジー  アンジー
They can't say we never tried
ボクたち頑張らなかったなんて言わせないよね。

訳: HideS(なつメロ英語21)
.07 2009 未分類 comment0 trackback0

第323夜〔 I'm Not In Love〕


〔 I'm Not In Love/10cc〕

10ccは、1970年代に活動したイギリス・マンチェスター出身の4人組バンドである。
この〔 I'm Not In Love〕は、70年代の彼らを代表する曲。日本のCMでもたびたび使用される。1991年にウィル・トゥ・パワーがカヴァーし、こちらもヒットしている。もともとは「架空の映画のサウンドトラック」というコンセプトでリリースされた『オリジナル・サウンドトラック』中の1曲。アメリカのFMのDJ達がこの曲を流したことに気を良くしたレコード会社がすぐにシングルカットをメンバーに要求したが、「ライヴであの楽曲のクオリティーを表現出来ない」として最後までメンバーはシングルカットに難色を示していた。
この曲はビルボード・週間シングルチャートで3週連続第2位(1975年7月26日付~8月9日付)。1位を阻んだのはヴァン・マッコイ&ソウル・シティ・シンフォニーの「ザ・ハッスル」、次いでイーグルスの「呪われた夜」、最後に、当時4年ぶりの全米No.1獲得となったビー・ジーズの「ジャイヴ・トーキン」であった。なお全英ではNo.1になっている。バックに流れる幻想的なコーラスはグレアム、ケヴィン、ロルの3人の声をテープ編集により624人分(3人×13音階×16トラック)に増幅して作成された。
.06 2009 未分類 comment0 trackback0

第321夜 〔ヴィルヘルム・ハンマースホイ〕

ハンマースホイ
〔背を向けた若い女性のいる室内〕1904年頃 ラナス美術館

ヴィルヘルム・ハンマースホイ( Vilhelm Hammershoi )1864年~1916年
19世紀末デンマークを代表する画家である。
コペンハーゲン美術アカデミーで学んだ後、「自由展」と呼ばれる分離派に参加し、古典的な要素の中に近代的な感覚を取り入れた革新的な画家として活躍した。アカデミーとは一線を画する活動によって生前ヨーロッパで高い評価を得る。
没後、急速に忘れ去られたが、1997-98年のオルセー美術館とグッゲンハイム美術館による回顧展で再び脚光を浴びた。
ハンマースホイの絵画の大部分は風景画でアパートの室内を描いたものが多く、しかも人物や家具など生活感をうかがわせるものがほとんどない。さらに、描かれた人物も顔のタッチがほとんどぼかされているうえ、描かれたとしても後ろ向きか視線を合わせない。このように、ハンマースホイの絵はタイトル以外、モチーフの手がかりをほとんど排除している。また、白と黒を基調としたモノトーンに近い色使いと、フェルメールの影響を受けた静謐なタッチが特徴。
1916年にコペンハーゲンで喉頭癌で死去。
.05 2009 未分類 comment0 trackback0

第320夜 〔モーニング・アフター〕


〔The Morning After/Maureen McGovern〕

モーリン・マクガバン(Maureen McGovern)1949年~
米国オハイオ州ヤングスタウン生まれ。ポップシンガー,舞台女優。
1973年、デビュー曲[Morning After]が米国で1位を記録して成功を収める。
その後78年に[Different Worlds]が米国で18位,A/Cチャートで1位を獲得してる。
72年公開の米国映画[The Poseidon Adventure]の主題歌で、アカデミー賞[Best Original Song]の受賞曲である。
.04 2009 未分類 comment0 trackback0

第318夜 〔心の扉を開けよう 〕


〔Brand New Key/Melanie〕

メラニー(Melanie)1947年米国ニューヨーク市・アストリア生まれ。
女性シンガーソングライター,ギタリスト。
70年に[Melanie & Edwin Hawkins Singers]のコラボレーションで[Lay Down]が米国で6位を記録。
彼女はシンガー及びソングライターとして一挙に注目を浴びる。
同70年11月に英国で[Ruby Tuesday]が9位、翌71年リリースの[Brand New Key]が米国で同年12月にNO.1を獲得。また,英国では翌年1月に4位を記録、ソロシンガーとしても世界的な成功を収めた。
.03 2009 未分類 comment0 trackback0

第317夜 〔If 〕


〔〔If /Bread〕

ブレッド(Bread )は1968年ロサンゼルスで結成されたアメリカのソフトロックバンド。
当初のメンバーはデヴィッド・ゲイツ(David Gates)、ジェイムス・グリフィン(James Griffin)、ロブ・ロイヤー(Robb Royer)の3人である。メンバーは変遷があるが、3人から5人編成で77年まで活動した。
今宵聴く〔イフ 〕は1971年/05月、最高位4位を記録した。
.02 2009 未分類 comment0 trackback0

第316夜 〔サインはピース〕


〔Put Your Hand In The Hand/Ocean〕

70年カナダ・オンタリオ州ロンドンで結成されたゴスペル・ロックバンド。
米国人,カナダ人混成バンドで75年まで活動していた。
この〔サインはピース〕は、71年/05月最高位2位のミリオンセラーとなった。
オリジナルは[Anne Murray]のデビューアルバム[Snowbird]に収録された曲で、彼女も2枚目のシングルとしてリリース。米国カントリーチャートで71年に67位を記録。
.01 2009 未分類 comment0 trackback0
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