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第664夜〔和田 三造 『南風』〕

和田三造 『南風』 明治40(1907)年 東京国立近代美術館
〔和田 三造 『南風』〕(1907年)東京国立近代美術館
和田 三造(わだ さんぞう)1883年3月3日~1967年8月22日
生野銀山鉱業所の勤務医や校医を勤めた和田文碩と秀の四男として兵庫県朝来郡生野町(現・朝来市)に生まれる。父文碩(ぶんせき)は医師で書画骨董に明るい人であったという。また、兄の正造は20歳で世を去ったが、東京美術学校西洋画科に学んでいる。和田が画家を目指したのもこうした周囲の環境が作用したと思われる。1896(明治 29)年、和田家は仕事の関係で福岡に移る。和田は修猷館中学に通うが、約1年で退学し上京。同郷の白滝幾之助の世話がきっかけで黒田清輝の門下となり湯浅一郎らの指導をうけ、1901(明治34)年には東京美術学校西洋画科に入学する。同級には青木繁がいた。美術学校卒業後の和田の活躍はめざましく、1905(明治38)年、白馬会展で「牧場の晩帰」が白馬賞、2年後の第1回文展で代表作とされる「南風」が最高の二等賞、続いて第2回展でも二等賞をうけ無鑑査となる。1909(明治42)年には文部省より美術留学生として渡欧し、油彩画と工芸図案を研究している。
1927年帝国美術院(現・日本芸術院)会員となり、同年、我が国における色彩の標準化の必要性に着目し日本標準色協会を創立する。ここでの和田の色彩研究の成果は『色名総鑑』(1931年)などに表れている。1932年東京美術学校図案科教授となる。1945年日本標準色協会を日本色彩研究所に改組し理事長に就任、1951年にはここで日本初の綜合標準色票『色の標準』を完成する。1953年大映映画『地獄門』で色彩デザイン、衣裳デザインを担当し、この作品で翌1954年の第26回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞する。尚、『地獄門』は、1954年の第7回カンヌ国際映画祭においてもその色彩の美しさを高く評価され、パルム・ドール(最高賞)を受賞している。晩年は油彩画の他、工芸や水墨画にも活躍し、1958年文化功労者に選ばれている。1967年8月22日死去。84歳
.20 2010 未分類 comment0 trackback0

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